山内龍雄芸術館


存在のきわみの旅へ


作家 新戸雅章


変幻と静謐。気品と澄明。闇であり、光であり、終末であり、予感であり、至福であるもの。 すべてを知って静まりかえるもの。
  山内の作品の前に立つとき人は永遠と出会わざるをえない。 われわれはそれに見つめられ、試され、旅をし、神秘に出会い、やすらぐ。 そしてふと我に返り、目の前にあるのがキャンバスだと気づいて改めて驚愕するのである。
  ここにはどのようなマジックもない。あるのはたしかにキャンバスだが、 ただし、われわれが信じるような意味でのキャンバスではない。 あえていえばそれはかつてキャンバスであったものの影であり、痕跡である。
  明治黎明期の洋画家たちがキャンバスに立ち向かった時、彼をとらえていたのは、西洋絵画の圧倒的な厚みということだったろう。   堅固な形態に支えられたこの厚みの前後には、同じような堅固な空間があった。 この空間に鳥かごのように吊るされたキャンバスによって、西洋近代絵画は形態という 鳥を閉じ込めることに成功したのである。
安定した形態を手にした西洋絵画には幸福な時代が続いたが、しかし鳥はひそかに飛び立つ機会をうかがっていたのである。 印象派の誕生によって、ついに形態は空間を越えて画家の内面に飛び込んできた。
  それは内面の形態、すなわち観念となったのである。画家は生の現実となったこの形態 を分析し、解体し、再構成し、キャンバスに向かって吹き出し続けた。要するに表現し 続けたのである。
  数学や論理学による分析に行き詰まると、無意識や気紛れに頼り、キャンバスを切り刻み、 ふんずけ、その前で踊ったりした。主体に飽いてそれがないかのように振る舞おうとした わけだが、あげくに身動きがとれなくなってしまった。
  現代絵画の一世紀とは、この内面の形態と主体としての画家の長い格闘の歴史だった といってよい。しかしキャンバスとの格闘に疲れた西洋の画家たちは、 もはやなすすべを知らなかったというのが本当だろう。
  山内はこのような分析や表現の放恣に早くから見切りをつけていた。そこにはいかなる神秘もないと思えたからである。
 かわりに彼が目指したのは、個性を超えたある客観性の獲得ということだった。  画家の内面の分析でもなければ、主体の表現でもない形態、セザンヌの客観ではない客観。  それがある抑制を持ち込むことで達成されることに気づいていたはずである。 しかしどのようにして。
  たとえば自前の東洋を持ち出すことで一挙に主客合一に飛躍するか。そのような神秘主義は所詮、 画家とキャンバスの不可避な関係から目をそらすことではないか。
視線のそらしやずらしによってキャンバスを消去しようとした西洋とは異なり、 山内はキャンバスに真っ向から対峙しようとした。そして導かれるようにその厚みを削り始めた。 しかし西洋の了解に従えば、もはや画布にはいかなる謎も、神秘も存在しないはずではなかったか。 なにもないはずの画布を削る。削り尽くすというこの企てにはどのような意味があったのだろう。
おそらく、そこには一度、内面化された形態を再びキャンバスに返してやること。 すなわち、形態本来の神秘を探求しようという動機が含まれていたにちがいない。
そのためにこそ形態の歴史をたどり返し、そこに盛られた歴史性を掘りぬかなければならなかったのである。 それは西洋絵画の全体を素手で掘りぬくような、ほとんど野蛮な試みだったろう。
 このドンキホーテ的な試みを支えたのは、形態の神秘を極めようという一個の意志だけだった。
 始源を求める旅の途次、本性を奪われた形態どもはあらゆる魔となって画家を襲ったにちがいない。   時に彼も化け物たちに打ちのめされながら、しかし決して探求がやむことはなかった。
 その果てに画家が行き着いたのは、透けるほどに薄いキャンバスだった。厚みを奪われながら空気の間にはりつめて立つ画布。  それはもはや形態の受け皿でもなければ、壁でもない。キャンバスですらないだろう。  画布の零度。その極みにおいて画布は画布であることをやめたのである。すなわち自然となったのである。
 鳥をとらえて置くためには鳥かごが必要である。山内は鳥かごのかわりに自然を置いた。その時、鳥は自ら翼を広げ、  存在の影となって画布に棲みついたのである。
 山内の達成した静謐さは、鳥たちのざわめきの果ての、いわば事後の静謐さである。  それはもはや絵画とさえ呼べないだろう。あらゆる形態が生れ、行き着く先の無。存在の果ての存在。  形態はそのうちふところから飛び立ち、西洋でも東洋でもない、あえていえばそれらをともに支える脊椎の歴史として画布に還ったのである。
   山内の画業が行き着いた無による形態の再生は、もとより流行とか、一流派とは無縁である。  それはより広い基盤のもとで行われる精神的作業であり、むしろ流行や流派といったもののあとにあらわれるものである。
 
世俗の声のみが高い日本にあって、そのような精神に出会えることの、なんという至福であることか。


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